今回は、戦国時代最強の武将と謳われた上杉謙信公が御祭神である「春日山神社」に参拝にやって参りました。
上杉謙信公は、現在でいうところの新潟県上越市に居城を構えた新潟県を代表する戦国武将でいらっしゃいましたが、後に上杉家が統治した山形県米沢市にご鎮座していらっしゃる「上杉神社」も併せてご紹介させてください!
実は戦国時代にご活躍された戦国武将がお祀りされている神社は決して珍しいことではありません。最も名の知られた、徳川家康公がご祭神である日光東照宮や、武田信玄公、豊臣秀吉公がお祀りされていらっしゃる神社も各地に存在します。
私の出身地である新潟県を代表する戦国武将が、こちらの神社に御祭神としてお祀りされていらっしゃいます!それではいざ心して参ります!
本日のRoute
高速道路を利用すると2時間弱で目的地へと到着いたします。三条市、長岡市を通過し原子力発電所を構える柏崎を横目に、上越市へと入ります。春日山城の天守閣址も見学する予定です。
Today’s Shrine
春日山神社

ご由緒・ご祭神
場所:新潟県上越市大豆1743
御祭神:上杉謙信公(うえすぎけんしんこう)
春日山神社は、新潟県の南西部に位置する上越市に鎮座していらっしゃいます。上杉謙信公が居城を構えていた春日山城址の麓に鎮座していらっしゃいます。上杉神社から上杉謙信命が勧請され祀られていらっしゃるそうです。
御祭神の上杉謙信は戦国最強の武将と謳われ、生涯勝率は9割5分もあったことから勝負運向上のご利益で知られています。
ところで、実は春日山神社の「鳥居」にはある特徴があります。
春日山神社の鳥居には「神明鳥居」という鳥居の様式を使用しており、戦国武将がご祭神でいらっしゃる神社にしては若干、不可思議ともいう事ができる様式の鳥居を採用していらっしゃいます。
元々鳥居とはいったいどのような役割を果たすものなのかご説明をした後に、どうしてその様な様式の鳥居を採用していらっしゃるのかをご一緒にひも解いていこうと思います。
鳥居についての説明
鳥居の語源
鳥居の語源には大きく分けて3つの説があります。
まず初めに、天照大御神にまつわる有名な日本神話である「天岩戸の神話」にて「常世の長鳴鳥」が止まった宿り木をルーツとする「鶏居(鶏の止まり木)」であるという説です。
もう一つの説は、神様が「通り入る」という意味が転じた言葉という説です。
もう一説にはインド仏教にみられる「トラナ」と呼ばれる門海外の建築様式を求める説があります。
「鳥居」の役割
鳥居は神域と俗世との境界を示し、神聖な神域を区切る役割があります。また、鳥居をくぐることで参拝者が悪い運気を払い、浄化させるとも言われています。
神明鳥居とは
鳥居には大きく分けて2種類あり「神明鳥居」と「明神鳥居」があります。神明鳥居は、鳥居の支柱の部分に対して、一段目と二段目に分かれて横たわっている上段の柱に反りがなく一直線で、二段目の柱が支柱部分より突き出ていないことが特徴です。神明鳥居を採用していらっしゃる神社には、天照大御神がお祀りされている伊勢神宮や伊勢神宮から勧請を受けた神社に施されている事が多くあります。


「春日山神社と神明鳥居の関係」——では、なぜ春日山神社は上杉謙信公を主祭神としているのにもかかわらず、神明鳥居の形式を用いているのでしょうか?
元々、この神明鳥居は天照大御神を祀っていることを示しています。
つまり、春日山神社は山形県米沢市の上杉神社から分霊され、お祀りされる以前から天照大御神がお祀りされていらっしゃった神社ですので、神明鳥居が用いられているのではないかと思います。
※鳥居については、もう少し詳しくご説明させていただこうと考えています!

大河ドラマ「風林火山」で上杉謙信公役を演じられたGACKTさんを思い出します。私自身、ドラマの本編は詳しく拝見しておりませんが、あまりにも綺麗な顔だったので上杉謙信公ご本人もお喜びのことでしょう…。

こちらでおみくじを引いた際には大吉を引かせていただきました。こちらへ参拝をした時期は自身の人生の転換期でもあり、おみくじには今後の生活が好転することを期待できるお言葉をいただきました。
本日は今後、謙信公の御神徳をあやかることができるように願いながら、春日山神社を後にいたします。

謙信公の軍旗には「毘」の文字は、謙信公が信仰していた「毘沙門天」の一文字をとったものであると伺いました。

※天守閣へと通じる山道を振り返って撮影をした写真
今回の春日山城址への小旅行が神社参拝を行う際に、写真の撮影を始めたきっかけとなりました。この時点では、皆さまにはお見苦しい写真しかお見せできませんがお許しください。

天守閣址の碑
上杉謙信公が武運を振るわれていた当時、こちらに春日山城の天守閣が存在していたそうです。

春日山神社
〒943-0802新潟県上越市大字大豆1743
電話番号025-525-2010
交通アクセス
トキ鉄・妙高はねうまライン「春日山駅」より徒歩40分
頸城バス「中屋敷」下車徒歩20分
頸城バス「春日山荘前」下車徒歩15分
北陸自動車道「上越IC」より15分
上信越自動車道「上越高田IC」より20分
※詳しいアクセス情報やご由緒については🔗にいがた観光ナビの春日山神社のホームページをご覧ください。
Today’s Shrine
上杉神社
うえすぎじんじゃ

ご由緒・ご祭神
場所:山形県米沢市丸の内
御祭神:上杉謙信公(うえすぎけんしんこう)
上杉謙信公は春日山城にて49歳でご逝去されましたが、その後遺骸は場内にて仏式を用いて弔われました。上杉景勝公が会津を経て米沢に居城し、米沢藩を統治いたしました。
▶上杉鷹山公について
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という代表的な名言をお残しになっており、この言葉はどんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就できる、無理だと思ってあきらめて努力しなければ絶対に実現できないと家臣たちに説くことで、窮地にあった米沢藩を立て直したお方です。
本日のRoute
新潟駅を出発して山形県第二の都市である鶴岡市を通ります。寒河江市に寄り道をして山形市を南下して米沢城址を目指します。

ようやく米沢城址へと到着したしました。こちらにも「毘」の文字がはためいております。お堀を横目にこの先にご鎮座している上杉神社へと参りましょう。

少し、武家屋敷や城郭を思わせるような雰囲気が漂っている鳥居です。ご本殿を取り囲むように垣がめぐらされているようですね。

こちらが御本殿です。お寺のお堂の様な雰囲気も漂っていらっしゃいます。ご武運を賜りますように参拝をいたします。

御本殿を後にしてもと来た道を辿ります。城址内に上杉謙信公が私に正対していただいているように鎮座していらっしゃいました。
頭巾のような武具を身に付けているお姿は、私にも馴染みのあるお姿です。

帰り際に、NHK大河ドラマの「天地人」の題材となった直江兼続公と上杉景勝公の銅像にお見送りしてしていただけます。

神社に隣接されている土産物屋には山形県が誇るサッカーチームの「モンテディオ山形」のオフィシャルグッズも購入する事ができました。
現在モンテディオ山形の新スタジアムが建設中だと伺っています。
※詳しくはこちらの株式会社モンテディオフットボールパークのホームページをご覧ください。

上杉神社の御朱印
強弱のある筆遣いをした古風な印象が感じられます。
社務所が閉所する直前に訪れたので、なんとか御朱印をいただくことができました。
上杉神社
〒992-0005山形県米沢市丸の内1丁目4-13
電話番号0238-22-3189
交通アクセス
米沢中央IC、米沢北IC、八幡原ICより車で約15分
米沢駅より車で約10分
※詳しくは🔗羽前米沢 上杉神社の公式ホームページをご覧ください。

米沢城址から車で10分。「米沢牛・焼肉さかの」で早めの夕食をいただきます。出発する前から、最終目的地の米沢で米沢牛をいただく旅を計画しておりました。さっそく店内に入ってみましょう!

腹をすかせた男の空腹を米沢牛だけで満たすことはできません。
一緒に山形県産のブランド米「雪若丸」をいただこうと思います。

網も温まり、米沢牛をいただく準備が整いましたよ!

手の届く価格のお肉であってもこちらのようなサシの入りようです。お肉を網に乗せるとジュワッと濃厚な脂が溶け出し、完全に肉汁が網に落ちていない完璧な状態のお肉を箸で取り上げます。溢れ出る肉汁を零さないようにたれに浸け、口に運び入れると、にやけた顔を抑えることができません。すかさず山形県産のブランド米「雪若丸」を口の中いっぱいに頬張ると、甘く芳醇な脂をまとった米沢牛が、しっかりとした粒を感じる雪若丸のでんぷんの甘みと混じり合って至福の世界へと溶け込みます。
溶けかかった氷が映えるウーロン茶の爽やかな香りで濃厚な脂をさっぱりと流し、お会計。大変充足した時間を過ごさせていただきました。
米沢牛・焼肉さかの
山形県米沢市中央3-4-21
電話番号:050-5869-0821
※詳しい口コミや情報は食べログのホームページに掲載しています。
今回は新潟県上越市にご鎮座されている「春日山神社」と山形県米沢市にご鎮座されている「上杉神社」への参拝の旅にお連れいたしました。
次回は、参拝の作法その3(事前に行う準備)についてご説明をさ褪せていただこうと考えています。参拝の作法についての投稿も、いよいよ神社へ参拝を行うための知識についての投稿に突入します!
それでは、いざ参拝の作法の旅へと参ります!
上杉神社の解説動画です。もしよろしければご覧ください。






